熱い夏の盛りのこと。


炎天下、中庭の木陰でおれは石畳に座り込み一時(いっとき)を無駄に過ごす。
頭上から蝉の声が喧しく耳朶を塞ぎ、頭の中にわんわんと木霊した。
他の音が何も聞こえなくなるほど、幾多もの蝉の腹がこすれ合って嬌声を上げる。
座り込んだ石畳は樹影で少しだけ冷たい。影を越えたその場所からは、触るのも熱いほど日光で熱せられているのに。


逃げ水、陽炎。


炎天下を避けて行き交う人の数は少ない。
けれど視点の低いおれの目の前を、通り過ぎていく足、足、足。
靴音が石を伝わって振動として身体に届く。
足は陽炎を踏みしめ、逃げ水を蹴散らし、すこしでも速く影に入ろうと急ぎ足で通り過ぎていく。
時折見知った足がおれの目の前で立ち止まり、躊躇するように濃い、黒い影を落とす。


何か言ってる。でもおれの耳は今蝉で一杯だから何も聞こえない。
顔も上げない。おれが見てるのは人間じゃなくて、陽炎と逃げ水と足だけだから。
やがて居眠りでもしているのだと勝手に判断した足は、目の前をまた去っていく。
それを見ながら、すこしだけ、してやったりとほくそえむ。


無駄な時間。
炎天下のじりじりと暑い中、おれは樹下の置き物のようにじっと座り込んで目の前を見ている。
つ、と背筋を伝う汗が冷たい。
組んだ腕が重なった部分をしっとりと濡らしていく。
そんな感触までもが、また、そうあってしかるべき無駄な時間。


そのおれの目の前でまた立ち止まった足。
ああ、ナナミだ。


ナナミはおれをちょっと多分見下ろして、
そう、そうやってすぐに納得して立ち去る。

くすくすと笑む。
ナナミは声もかけない。だってナナミだから。


軽い足取りが振動として伝わる。ナナミの足が消える。


沸き上がるような蝉の声。
発熱するような体温の蒸発。

すこしだけ、暑くて眠い。

あまりにも無駄で、切り取られた時間。
すべての時間の流れから熱で灼き落とされた一瞬。
おれが、何者でもなくなる、陽炎のような一時。




風が凪いだ。熱い空気が揺れておれは再び目を開けた。
熱せられた石の匂いの向こうに、

ふと、気づく。

おれの正面、俯いた視界ぎりぎりの場所に、いつからだろう立っている足があった。

誰だ。

不思議だ。

その足はちょうど逃げ水の上に立っている。
この炎天下の白い石畳の陽炎の間、水の上に立つ足。
あの足は。
……あの足は……。


カノヤ=マクドール。


目を上げたおれを逃げ水の上の彼が見ていた。
凝視するでもなくやはり彼も炎天下の置き物のように、すうとそこに立ちつくし、こちらを見ていた。
逃げ水の上の少年は真っ白な日光を受けて立ち、それなのに影のようにひっそりと、陽炎の中で冷たい水のように立っている。

「……」

声をかけるでもなく、ただ見ていた。
蝉の声にも邪魔されぬ、逃げ水や陽炎と同じもの。

沸き上がる蝉の声。

不思議だ。

彼とおれは向き合い顔を見ているのに、視線が合わない。
彼はおれを見ているのに、おれの向こうを見ている。
おれは彼を見ているのに、彼はそこに居ない。



陽炎の中の冷たい水。



切り取られた時間の中で、彼だけがおれと同じ場所に居る。
灼き落とされた空間の、彼もまた住人。

熱い。
熱い中でその熱に浸っている無駄の中に。




……やがて、彼はなにを言うでもなく踵を返した。
……おれは何故か立ち上がり、彼の後を追った。


蝉が鳴いている。
樹影から出た途端、肌を痛いほど日光が刺す。
逃げ水や陽炎が視界から消える。
背後で、蝉が鳴いている。


目の前の背中を追いながら、おれはまた継続した時間の中に踏み出したのだ。




熱い熱い夏の盛りのこと。



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