・・・・・嫌だな・・・・・・眠れない・・・・・・・
夜半過ぎ。街道沿いの宿の一室で、カノヤは何度目か分からない寝返りを打った。僅かな頭痛と肉体的な疲労感。身体は睡眠を求めているのに、何故か、眠れないままもう数時間を過ごしていた。うとうとと思考は漂うだけで、その活動を止めてはくれない。理由の無い焦燥感に、吐き気がする。いっそ起きてしまおうか、と思いはするものの、明日の事を思えばそれも出来ないでいた。
耳を澄ますと、静かな虫の声と共に隣に眠る少年の寝息が聞こえる。安定したそのリズムに、カノヤはそっと深呼吸をして抗ってみせる。
「眠れないの?」
ぴく、とカノヤは闇の中目を開けた。ゆっくりと隣に眠る少年に目をむける。眠っているとばかり思っていた少年は、月明かりの中真っ直ぐこちらを向いていた。大きな瞳が、じっとカノヤを見詰めている。カノヤは僅か、苦笑した。
「ああ・・・・・すまない。起こしてしまったね」
「いいよ、別に」
少年は・・・・・・ユキトはそう言うと、ごそごそと起き上がった。カノヤも、つられて身を起こす。くらり、と頭痛にも似た眩暈に襲われ、眉を顰める。額に手を当てる様にして目頭を抑えた。
「マクドールさん、もうちょっとそっち行って」
「?」
ふと、振り仰ぐとユキトが居た。仏頂面のままカノヤを見下ろして居る。言われるまま、カノヤは壁際に寄った。少年はその隙間にごく当然のように上がり込むとどさり、と横になる。
「・・・・・・・ユキト?」
「マクドールさんも寝なよ。明日も早いからさ」
「・・・・・・・・・」
カノヤは困ったように、彼と、その向こうの空になったベッドを見比べた。この子は、ここで眠ろうというのだろうか?
無言のまま躊躇して居ると、がばり、とユキトが起き上がり、押し倒す様にしてカノヤをベッドに押し付けた。
「!」
身体の上にあたたかい重量感がのしかかる。先程まで眠って居たのだろうユキトの体温は、カノヤのそれよりも幾分高く、赤ん坊が圧し掛かってきたような錯覚を起こさせた。遠慮なく、カノヤの上に体重を乗せて、少年はごそごそと居心地のいい体勢を探ろうとした。
「・・・・ユ、ユキト?」
やがてカノヤの首筋に唇を当てるような形で、ユキトはじっと動かなくなった。
「・・・・・・・・・・」
どうしていいかわからず身体を堅くして居たカノヤは、やがて諦めたように力を抜いた。暖かい息が首筋に触れ、容赦の無い体重が、体温を伴ってカノヤの身体を占領している。ユキトは、もうまるで眠ってしまったかのように動かない。その重さに、ふと、身体中の力が抜けて居る事に気づく。リラックスしていた。
「・・・・・・・ジョウイがさ」
「?」
「ジョウイもよく眠れなくてさ、ひとりでよくごそごそしてたんだよね。あいつ、寝付きが悪くて大抵眠るのに数時間かかる訳。・・・・・・・だからよく、こうしてたんだよ」
耳元で呟くようにユキトが言う。カノヤは、ああ、と思い、目を閉じた。少年が自分を気遣っているのが知れたのだ。
「・・・・・・マクドールさんも同じだね。昨日もちょっと眠れないって感じだったから。・・・・・・熟睡、出来ないタイプ?」
「・・・・・・・・ん。そう、かな」
「ジョウイもだったんだよ。廊下の物音とかに凄く敏感でさ、結局まともに熟睡できるの疲れきった朝方なんだ。だからいっつも朝起きれなくてさ・・・・・よく二人でナナミに怒られてた」
たわいのない少年の戯れ言が、耳にやさしく染みていく。体温のように、包み込んでいく。先程までうろうろと廻り続けていた思考が、少年の言葉に流されるように静かになっていく気がした。
「・・・・・・・・あいつ、ちゃんと眠れてるかなぁ・・・・・」
わずか眠気を帯びた声で、ぼんやりとユキトが呟く。ジョウイ。カノヤは瞼を上げて天井を見上げた。彗星のように現れて、僅か数ヶ月で王都を手中に収めてしまった少年。その実体は謎に包まれたまま、人々にひっそりと不安を与えている。けれど、その生身を知る少年の口から語られる実像は、ありふれた子供でしかない。そのギャップに、そっと嘆息する。
運命は・・・・・・・子供たちの上にも容赦なく荒れ狂い、彼らを翻弄していく。実像と虚像が大きく離れる時、その存在は運命の渦の中心に居るのだ。今、世界は大きく二つの渦に揺れている。ユキトと言う、鮮やかな渦と、ジョウイと言う、不透明な渦に。
その遠心力に、歴史は動かされていくのだ。
「・・・・・・マクドールさん」
「なんだい?」
「・・・・・マクドールさんはさ、一緒に眠る人は居るの?」
「・・・・・・・・」
ずきん、と胸が痛んだ。辛い訳ではなかったけれど。
「・・・・・・・居るよ」
「・・・・・・あの、グレミオってひと?」
ストレートな問いかけに、苦笑する。
「・・・・・・・時々ね」
「ふぅん・・・・・・・・でもさ、それじゃ駄目だよね」
「・・・・・・・・・どうしてだい」
「あのひとではマクドールさんは守れないもの」
「・・・・・・・・・・・」
悪意の無い、けれど真っ直ぐに突き刺さるような言葉で、ユキトは断言した。今度こそ、本当に息が詰まるような痛みを覚えて、カノヤは眉を顰める。・・・・この感じは。知ってる。この痛みは。
「マクドールさん、あの人に安心して寄り掛かってないよね。反対でしょ。守ろうってして、必死じゃない?」
「・・・・・・・・・そう、かもしれないね」
彼は一度自分を守ろうとして死んでしまったから。今度は自分が彼を守るのだ。カノヤはひとしれず、そう堅く心に誓っている。そしていつか。・・・・・・・・いつかグレミオのために死ねたら。そうできたら、なんて安らかだろう。
「他にいないの?」
「・・・・・・・・・・」
「マクドールさんが敵わないほど強くて、安心して、傍に居てくれるひと」
「・・・・・・・・・・」
そう思っていた人は・・・・・・死んでしまった。この手で、殺してしまった・・・・。
「・・・・・・・・私は、守られたい訳じゃなくて、守りたいのだから、いいんだよ、それで」
「駄目だよ」
諭すように告げたカノヤを、ユキトは間髪入れず否定した。
「あなたは弱いもの」
「・・・・・・・・・・・・・・」
思いもかけない言葉に、カノヤは大きく目を見開いた。耳を疑い、そうして、身じろぐ様にしてユキトの顔を凝視した。ユキトは、それを受け止めるようにじっと見据えた。
「・・・・・・・・僕が、弱い?」
「そうだよ。マクドールさんは弱い。弱いし、ずたずただよ。気づいてないの?」
「・・・・・・・・・・・・」
そんな風に、彼を評した人は、居なかった。いつも、人は彼を見上げ、褒め称えた。そうして、雨の中身を寄せる様にして彼の樹下に集い、去っていった。彼は常に人々の上に立ち、風を受け、雨をしのぐ存在。人を、包む立場に居たのだ。
絶句したカノヤに、ユキトはため息を吐くと手を伸ばした。その頬に触れる。く、と緊張したカノヤの身体を和ませるように、ゆっくりと手を滑らせた。
「・・・・・・おれ、あなたの周りの人、嫌いかも。そんな事も気づかない人ばっかりなの?
それ、全然あなたのこと見てないよ」
「・・・・・・・・・・そんな事は・・・・」
「あるよ」
ユキトはゆっくりと身を起こすと、上から覗き込む。
「マクドールさんはさ、凄いと思うよ。魔力だって強いし、おれよりずっと、身のこなしだって完成されてる。肉体的にはさ、そうそう敵う人居ないのかもしれないよ。・・・・・・・でもさ、せいっぱい虚勢張ってさ、英雄してる。それ、つらくない?」
自分より、いくつも年下の少年は、強い視線で彼を射抜いていた。目を離せないほどの強い眼差しで。
「・・・・・・・・・・・・君だって、同じだろう」
「おれは違うよ。英雄なんてしてない。英雄だって皆は祭り上げるから好きにさせてるけど、それ、おれじゃないもん。おれって言う形を借りた幻だよ。それはひとりでどんどん大きくなってくけど、おれじゃないってわかってるから、合わせようなんてこれっぽっちも思ってない。勝手にでかくなってくのは幻だよ。おれじゃないんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
二人の少年の折り重なった影が、瞬間、雲に隠された月の光で闇に沈む。
「あなたもジョウイもそうだ。でっかいのは幻であって、あなたでもジョウイでもない。分かる?
それに見合うように自分の器広げようったって、人間には限界ってのがあるんだよ。
好きなものも嫌いなものもあって、我慢できない事や、許せない事がある。完璧な幻に実像を合わせようったって無理があるんだよ」
「・・・・・・・・・・・・でもそれが、人の上に立つものの責任じゃないかい?
人々は、その幻に縋ってしか生きていけない事もある。それくらい、弱くて苦しい人達のためにも、その幻を壊さない事が、勤めだと思うよ」
「黙ってりゃいいじゃん」
ユキトは事も無げに言い放つ。
「黙ってりゃいいんだよ。ほっといたらいいんだよ。余計な事、言わないよーにすればそれでいいじゃん。自分じゃないって分かった上でさ、いちおー邪魔にならない程度に幻壊さなきゃ、それでいいんだよ。人間信じたいものに対してはめくらなんだからさ、よっぽどのことしない限り適当に解釈してくれる訳。そうやってさ、自分の邪魔にならない限りはその幻をほっといたらいいんだよ」
まっすぐに、迷いもなく断言する。強い瞳で、当然だと、渦の中心に居る少年は言いきった。でもそれは、それでは、その幻には実体が無い事になる。人々の切実な願いを一身に受けた存在は、本当は何処にもなく、ただの作り事になってしまう。それは、自分を信じた人への、その為に死んでしまった人への裏切りではないだろうか?
「・・・・・・・・・人の思いは・・・・・・何処に行くんだい?」
カノヤは苦しそうに言った。静かに、うめくように。
「それでは・・・・・・人々の命を懸けた声は、誰が受け止めるんだい?
僕も確かに、その重さに耐え切れず逃げ出してしまったけれど、・・・・・・・だから、僕が言う事ではないかもしれないけれど。・・・・・・・切実に、純粋な人々の思いは、報われなくなってしまう。誰も、彼らを救えなくなってしまう」
「傲慢だよ。自分は自分で救うんだよ」
「・・・・・・・・」
いっそ、冷たく思えるほど冷えた瞳で、少年が言う。圧倒される存在感。
「あのね、あなたが思ってるほど人は純粋じゃないよ。英雄とかね、そういうのってね、結局幻なんだよ。人はそれに夢を見ると同時に、都合が悪くなれば責任を押し付けてののしる。無責任な願望なんだよ。御伽噺なんだよ。結局、自分の生活は自分で守るしかない。英雄はね、その背中を押す存在でしかない。生活の味付けでしかないんだよ」
「・・・・・・・・・・」
淡々と、雄弁に。
「だってそうでしょ?
例えば女の子がさ、夜盗に乱暴された時、誰に救いを求めると思う?
カノヤさまって、本当にあなたが助けてくれるなんて露ほども思ってないよ。彼女を助けるのは彼女の恋人だったり、家族だったり、友人だったりであって、あなたじゃない。彼女だって、そう思ってる。そうして、全部終わった後で、自分が乱暴されるような世の中を作ったあなたを責めるんだ。自分を守るためにね」
まるで誰も逆らえないような、意味の無い説得力さえ持って、少年の言葉が容赦無く叩き付けられる。けれど。けれどそれに抗わない訳にはいかなかった。その言葉に押し切られそうになりながら、カノヤは絞り出すように告げる。
「・・・・・・・・・・だから・・・・・・そういう世の中を作った私は、責任を取らなくてはならないんじゃないのかい?
その少女が安心して、そんな思いをしなくて住む世界を守るために」
「違うよ!」
ユキトは一際大きな声で遮った。
「ああもう、だからさ!
どーしてあなたはそーなんだよ!
なんでそーやって全部しょいこもうとするんだよ!
だって無理じゃんか!
こんなに無理して夜も眠れないくせに、なんでそんなに一生懸命になるんだよ!」
今まで巧みに言葉を操っていた少年は、唐突に感情を爆発させた。
「・・・・・ユキト、声が高い」
「うるさい!!!」
カノヤに馬乗りになって、年相応の癇癪を起こして、ユキトは声を荒げた。
「・・・・・・・・・・・・」
「あなたっていっつもそうなんでしょ?!
いっつも分かった顔して我慢して、人の無責任な期待に精一杯応えようとして、無理して、我慢して、眠る事も出来ずに気をもんで、馬鹿みたいだよ!」
遠くでがたん、と僅かな音がしたような気がして、カノヤは身を堅くした。つい、宿の人間が起きたのではないかと気を廻す。確か隣の部屋は空室だった筈・・・・・・そう頭を働かせて僅かに安堵するが、このままではどうなるかしれたものではない。
「馬鹿!!!」
「!」
ばすっと降ってきた枕に、カノヤは目を廻した。
「ゆ、ユキト?」
「また気を使ったんだろ!
人が起きたってかまやしないじゃないか!
どーしてそーなんだよ!」
カノヤに口を開く暇も与えず、枕で何度も何度も力任せに殴る。
「ユキト!」
腕力ではユキトの方が上だ。まるで計算できない癇癪任せの枕攻撃に、カノヤは舌を巻いた。ここぞ、と伸ばした手でユキトの腕を掴むと枕を取り上げほおりなげる。ほっとするのもつかの間、ユキトに向き直った途端、その頬を思い切りはたかれた。
「!!」
力いっぱい殴ったユキトの平手に、瞬間星が飛ぶ。焼け付くような痛みの後、おいかけるようにして熱い痛みが襲った。
「・・・・・・・・・・・・・・」
事態を理解できず頬を覆ったカノヤは、目をしばたかせてユキトを見た。ユキトは顔を真っ赤にして怒り、きっと口を結んでいる。言葉にならないほど、怒っている、といった表情だ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
暫し沈黙が訪れた。階下に僅か物音がしていたが、それもやがて静かになった。部屋の中には再び、虫の声だけが満ちていく。夜の静寂だけが満ちていく。
「・・・・・・・・・・・」
やがてユキトが震えるようにため息を吐いた。大きく、身体中から空気を吐き出すように。
「・・・・・・・・・・・・ユキト」
じんじんと痛む頬を押さえ、カノヤは身じろぐ。包むようにやさしく、少年の名を呼んだ。
「・・・・・・・・・・おれはジョウイを見なくちゃいけないから、あなたまで守ってあげられない」
ユキトはまだ怒りの篭った口調で声音を押さえる様にして告げる。
「・・・・・・・・・うん」
「でも、おれはあなたも一緒に守ってあげたいと、本当に思うよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・うん」
それが、例え様もなくやさしく聞こえて、カノヤはかみ締めるようにうなづいた。気持ちが、すうっと楽になっていくような気がした。
「・・・・・・・・・・ありがとう」
そう言ったカノヤに、初めて、ユキトが笑った。
「一緒に居られる間はおれが守ってあげる。マクドールさんはおれのものだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
悪戯が成功したような子供の顔で、無邪気に言い放つ。
「おやすみっ」
言うだけ言うと満足したのか、どさり、とユキトは横になった。カノヤはそれを見下ろし、その髪に触るとそっと撫でた。・・・・・・・・手が、震えるような気がした。
「・・・・・・・・・・・」
さらり、さらりと撫でるその手が気持ちいいのか、少年は目を細めると、やがてほどなく寝息を漏らしはじめる。身を摺り寄せる様にしてカノヤに寄り添い、すっかり安心した様子で眠る少年に、カノヤはいとしみさえ覚えた。
「・・・・・・・・・ジョウイが羨ましいね」
こんな風に、力任せにぶつかってくる存在に愛されている遠い少年を思うと、笑みが零れる。よい噂はない彼だが、けれど、この子が居るなら、・・・・・・・・・・きっと大丈夫だろう。
何があっても、この子はジョウイを守るに違いない。それを成し遂げるだけの強さを、持っている。この子なら・・・・・・・大丈夫かもしれない。
まるで祈るようにそう繰り返す。大丈夫だと、強い、と。
・・・・・・・少しだけ、似ている気がした。少しだけ。強引な好意が、もたらす安心感。もう、居なくなった友人。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・テッド」
虫の声だけがそれに応えた。
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